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授かった命・預かった命


ひとり息子が一昨日で10歳になった。

ということは、わたしが母親になってから10年経ったことになる。


当時わたしの周りには子供が欲しくてもどうしても授からなくて、とても悩んでいる人が何人かいた。


わたしも結婚する前からずっと体調が悪く、その上アメリカ駐在中には一度流産を経験し、もうすぐ高齢出産という年齢のせいもあり少し諦めかけていた時に授かった命だった。


息子を生んだ時真っ先に考えたことは、「自分だけの子供じゃない…」ということ。

それは、自分が産んだ子供じゃないとか、主人とわたしだけの子供という意味ではない。


12時間かけてようやく吸引分娩で出産した息子を抱けたのは、翌日の朝。

その朝息子を初めて抱いた瞬間から10年後の今まで、一度も自分だけの子供だと思ったことがない。


息子を抱いた瞬間は勿論とっても幸せで嬉しかったけど、次の瞬間に思ったたことは「大切な命を神様から預かって、わたしがこの子を育てさせてもらうんだ」ということだった。


息子が社会に出るまで、わたしが母親という役目が終わりわたしが死ぬ瞬間まで、責任を持って立派な人間に育てあげなくてはいけないと、心が引き締まる想いがした朝だった。


勿論、わたしにとってもとても大切な愛おしい命。

でも、わたしの勝手で好きなように育てて良いとも思わなかった。


母乳しか飲んでくれない息子を育てるのは本当に大変で、細い乳腺が詰まり何度も何度も乳腺炎で高熱を出し痛みで辛かった時は流石に心が折れそうになったこともあったけれど、「赤ちゃんもお母さんの身体を治そうと一生懸命膿の混じったまずい母乳を飲んでくれているのよ。」という助産婦さんの言葉を聞き、産んだだけじゃ母親になったとは言えないんだということ、子供を育てながら自分も母親として成長させて貰うんだということに気付いた。


息子がむずかって泣いている時…。
どうしてむずかっているのか必死で考えた。

スーパーへ買い物に行くと、何個も同じようなオモチャ付きのお菓子を欲しがり駄々を捏ねた時…。
どうしたらひとつだけで我慢できるようになるのか考えて、まだ言葉もよくわからない息子に向かってじっくり話して聞かせ、毎回ひとつずつ減らしていきながらそれが出来たことを褒めてあげることにしていたら、あっという間にオモチャ付きのお菓子も欲しがらなくなった。


保育園の年長になって文字の練習の宿題が出始めた時、どうしてもやりたがらない息子。
やってこない息子を叱る先生に頭を下げ、「本人が自分でやりたいと思うまでもう少し待ってください。」とお願いした。

暫くすると周りのお友達が「あいうえお」を上手に書けていることに気付いた息子が「どうして皆は上手に書けるの?」って聞いてきたので、「毎日少しずつ宿題を頑張ってるからじゃないの?」とわたしが言うと、次の日からは自分からせっせと宿題をやるようになった。


大好きなスイミングスクールも一度だけ辞めたいと言ったことがある。
引っ越しをして同じ系列の違うスクールに通い始め、まだ友達ができなかった頃。

せっかくここまで頑張ったのに…という気持ちもあったけど、無理強いしても仕方ないので「行きたくないなら辞めていいよ」と辞めさせた。

ところが3か月もたたない内に学校のお友達が数人そのスクールに通っていることがわかり、「やっぱり通いたい」と言い始めた。

これはいいチャンスとばかり「また行きたくないって言わないなら通ってもいいよ」と言ったら、それからは一度たりとも「行きたくない」と言わないばかりか、最近では熱があって頭が痛くてももわたしに黙って通うようになっていた。


子供を育ててわかったことは、子供の心を育てるのに大事な瞬間はほぼ毎日のようにあって、それを見逃してしまったり放っておいたら取り返しがつかないこと。

待った無しの世界だ。

いつもドキドキ・ハラハラしながら子育てをしていて、気付いたら自分も成長している…。

そんな感じがピッタリだ。


10歳になった今でも毎日ドキドキ・ハラハラさせられている。

わたしがまだ一人前の母親になっていない証拠だ。


神様から預かった大切な命。


あとどれくらい頑張れば母親としての役目を果たせるんだろう…。

あとどれくらい経てば、大切な命を社会に送り出してあげられるんだろう…。


身体は限界に近いけど、まだまだやらなくちゃいけないことがありそうだ。

せめてあと少しだけ、責任を果たす時間が欲しい。














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共育(きょういく)


学生の頃、家庭教師のアルバイトをしていた。

小学校5年生の彼の名は「スリアン」。

インドネシア人の父と日本人の母の間に生まれたハーフで、訳あって生まれ育ったインドネシアから母の故郷にきたばかりだった。

当然日本語は母に教えてもらった片言しか話せず、学校の友達にも馴染めずにいた。


家でもとても暗い表情をしていて、身を寄せている叔父や叔父の家族ともほとんど口をきかないらしい。

叔父も彼の母もそんな彼を見てとても心配になったそうだ。


そんな時白羽の矢が立ったのが、彼の従兄弟の家庭教師をしていた兄の妹であるわたしだった。


ちょうどわたしもバイトを探していたところだったし、小学生ならという軽い気持ちで引き受けた。


最初に会った日はなかなか心を開いてくれない彼に驚いたけど、そんなことはお構いなしに楽しい話し、面白い話しばかりで彼を笑わせることだけに集中した。

日本語がメインで後は勉強も教える筈だったけど、勉強は国語以外は驚くほど優秀で、わたしが教えることなんてほとんどないくらいだった。

3回目くらいからようやく会ってすぐに笑顔になってくれるようになり、それからは学校であった出来事やインドネシアでの話し、大好きな食べ物や今ハマっているテレビの話しなど、とにかくたくさん話してくれるようになった。

気付けば3ヵ月も経った頃には日本語はほとんどパーフェクトになり、漢字も同学年の子以上に書けるようになっていた。

その間わたしがしたことといったら、毎回面白い話しをして一緒にゲラゲラ笑っているだけ。

漢字も算数も、わたしが見ているだけで彼が独りで黙々と勉強していた。


彼との楽しい時間はあっという間に過ぎて、スリアンがすっかり明るく元気な少年に変わった頃、わたしが実家に帰ることになり別れの日がやってきた。


「先生じゃなきゃ嫌だ」と大粒の涙を流しながら言う彼。

「先生にもやらなくちゃいけないことがあるのよ」となだめる彼の母。

「本当にごめんね。でもずっと忘れないからね。」涙をこらえてバイクのヘルメットで顔を隠すわたし。


バイトに行った夜雪が降り始め、バイクで帰るわたしを心配して寒いのに外まで見送ってくれたよね。

冷え切ったエンジンがなかなかかからず、早く家に入りなさいって言ってもエンジンがかかるまで傍にいてくれたよね。

わたしは、小学校5年生の少年がこんなに頼もしく思えるなんて知らなかった。


勉強を教えるってことは、勉強したい気持ちを育てるってことだって教えてくれたよね。


スリアン、今どこにいるかわからないけど、本当にありがとう。


今、わたしの息子が当時のスリアンの年齢に近付いているよ。

スリアンのように、優しくて頼もしい男の子になれるかな…。


人権ポスター


小学校4年生になったばかりの息子が、「お母さん、人権ってなに?」って聞いてきた。

ちょっと驚いてどうしてそんなことを聞くのか理由を聞いてみたら、「人権ポスター」の宿題が出たらしい…。

あ~、そういうことか…。

わたしも「人権ポスター」を描いた記憶がある。

子供の質問に色々と考えて答えることが大好きなわたしは、ちょっと偉そうに「人権っていうのはね、人間が生きていくために最低限保証されるべき権利のことよ!」って言ってみた。

すかさず「権利ってなに?」と息子…。

思わず「うーーーっ」と唸ってしまった。

大人になら説明できても、子供相手の説明は難し過ぎる。

だって、説明する為に必要な単語がこれまた難し過ぎるから。


すかさずネットで調べてみたけど、なかなか良い説明が見当たらない。

で、ふと思い付いた。


「誰の命もみんな同じだけ大事だってことよ。」

どんな仕事をしていようが、どんなお金持ちだろうが貧乏だろうが、みんな同じ様に同じだけ大切な命を1つずつだけ持っている。


そう説明したら、「あっ、そっか!わかった!!」と言って黙々とポスターを描き始めた。

出来上がったポスターはパパのアドバイスの大きな地球とたくさんの子供達の笑顔。

ちょっとありきたりじゃない?って思ったけど、「みんなの笑顔が一番大事」って思っている息子の心を誇りに思いたい。


人権について、気になってもう一度調べてみた。

「人権とは、誰もが生まれながらにもっている自分らしく幸せに生きる権利のことです。」


ただ生きているだけじゃなく、「幸せ」に生きていく権利のことなんだ。

ALSだって幸せに生きていっていいんだよ…って言ってもらえた気がして、わたしも嬉しかった。





成長


地震が起きた時。

息子はまだ学校にいて、ちょうど帰り支度の時間だったらしい。

こんな大きな地震は生まれて初めてで、しかも家族と一緒じゃなくてどんなに心細かっただろう。


凄い揺れの中、わたしが真っ先に見たものは時計だった。


今頃息子はどこにいるんだろう。

学童保育への道を歩いているんじゃないだろうか。

電柱やブロック塀が倒れて、下敷きになっていないだろうか。

そんな不安が頭の中をよぎる。


心配して来てくれたK君のお母さんが、わたしの一番の心配は息子のことだと気付いてくれて、すぐに学童保育へ迎えにいってくれた。


帰って来た息子を「怖かったでしょ?」と抱きしめるつもりだったのに、家に駆け込んできた息子の第一声は「お母さん、大丈夫だった?」。

息子は昼間ひとりきりでベッドに寝ているわたしが、家や家具に押し潰されているんじゃないかと心配だったらしい。


学校で怖くて泣いてしまったと後から聞いたけど、家では緊急時に使う予定の発電機の使い方を自ら進んでパパから教えてもらっている。


その後ろ姿を見て、思わず涙がこぼれそうだった。


まだ9歳なのに。

こんなに大きくなったんだね。

いつの間にか、身体だけじゃなくて心まで成長していたんだね。


もうすぐ4年生。

来年の今頃は、きっともっと大人になっているんだろうね。





みんな違ってそれでいい

まだ元気だったころ、息子の授業参観にいってビックリしたことがある。

教室の壁には同じものを同じアングルで描いた、「そっくりな絵」がズラッと飾ってあったからだ。

帰宅後息子に「どうして同じ絵なの?」と聞くと、「先生が見本を置いて、この通りに描きなさい」と言うらしい。

確かに美術の「技術」を訓練するためかもしれないが、そんなことよりもっと大切なことがあるんじゃない?

同じ虫を見ても、小さな虫だと感じる子もいれば、大きな虫だと思う子もいる。

同じ鳥を見たら、自由に飛んでいていいなって羨ましく思う子もいれば、独りで飛んでいて寂しくないのかなって心配する子がいる。

同じ人と出会って、「嫌い」って思う子もいれば、「好き」って言う子もいる。

どれも全部間違ってなくて、どれも全部正解だと思う。


同じものを見て、みんなが同じ様に感じなくてもいい。


みんなが同じじゃないから、同じじゃないことが素晴らしい。


誰かが自分と違うことをしていても、その違いの素晴らしさに気付かせてあげたい。


「みんな違ってそれでいい・・・・」って。


みんながそう思えたら、この世の中からいじめなんてなくなるのにね。





Appendix

プロフィール

takekos1

Author:takekos1
はじめまして、takekos1(タケコ)です。
四年前までフリーランス・インテリアコーディネーターとして仕事をし、小学校3年生の男の子の母親で、育児&家事に追われる普通の42歳の主婦でした。
突然のALS発病で大好きだった仕事を失くしたけど、どんな時でも笑顔だけは忘れず残された日々を楽しみながら生きていたら、突然進行が止まりました。
そして、今新たな幸せな人生を歩み始めています。
難病だって身体が動かなくなったって、生きていればきっと幸せは見つけられるって信じてます。
病気についての詳しいことは、下記のブログで書いています。
http://plaza.rakuten.co.jp/takekos1/

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